Oakland Raiders の研究
Al Davis and me (序)
Oakland Raiders の伝説的オーナー、Al Davis について今さら私の口から詳細を語るつもりはありません。ここでは彼と彼のチームとの、私の関りについて少しだけ。
私がNFLを観だしたのは1990年の前後で、初めてちゃんと観戦したスーパーボウルが1991年(パパブッシュが戦った湾岸戦争のあった年)の、 Buffalo Bills 対 New York Giants 戦でした。その後はケーブルテレビのGAORAと契約し順調にアメフット沼へと嵌っていったのでした。。
Joe Montana と San Fransisco 49ers の贔屓だった私が何故 Raiders ファンになったのか?直接的なきっかけはよく覚えていません。49ers が Montana を放出したせいだったかもしれないし(おかげで彼を追い出すかたちになった Steve Young を嫌うことになりました)、丁度その頃GAORAが”Raiders Special”(でしたっけ?)と称してRaiders の試合だけ毎試合放送していたからかも知れません。ともかく、”Silver and Black”のユニフォームと、雑なんだけど雑なりに面白い、目が離せないそのフットボールの”スタイル”に徐々に魅了されていきました。
今思うと私がRaiders を応援しだした1980年代後半から1990代前半にかけては、 Raiders にとっても NFL にとってもある意味時代の変わり目だったのだと思います。その前と後とで「フットボールという競技の性質が変わって」しまったのです。
- Bill Walsh が San Francisco 49ers で導入した”West coast offense”
- Bill Parcells が New York Giants で導入した”Ball control offense”
これらはボールの進め方こそ違いますが、
- オフェンス機会(相手チームのオフェンス機会、つまり自チームのディフェンス機会をふくむ)をドライブ単位/プレイ単位で管理する。試合毎に建てたゲームプランを精密に遂行する
- プレイの遂行において、11人の選手全員に事前に決められたアサイメントの正確な遂行を要求する
点で共通しています。
- 試合前のスカウティングにより相手チームの出方を予測し、その出方に対応できるプレイを準備し、その試合向けのプレイブック(ゲームプラン)を編集する。
- 試合中、相手のコールを予測してそのコールを潰す「強いプレイ」をコールする。「コール勝ち」を目指す
- 11人の選手はコールされたプレイにおいて自分に割り振られたアサイメントを正確に実行する
これらはその前でも後でも同じようになされていたことですが、ビデオ映像の編集/出力が容易になったことや通信技術の発達と相まってその「掘り下げ方」「徹底のされ方」が全く違ってきました。3.の点についていえば、労働市場における需要側のニーズも変わりました。使う側は選手に対して「プレイにおける自分に振られたアサイメントの意味を理解し正確に実行する」「より多様なアサイメント(場合によってはポジションの概念を超越して)を遂行するスキルを持っている」ことを今まで以上に要求するようになったのです。
60年代~70年代にかけての成功体験が忘れられない Raiders と Al Davis はこの時代の変化について行けませんでした。90年代以降のRaiders の不振の原因は、極論すると「チーム作りの段階における、攻守のパズルの組み立て(パズルの画を描くことと、その画に合ったパズルのピースを求めること)の不徹底」「試合前の準備の不徹底」と「試合におけるゲームプランの遂行の不徹底」の三つに求められると思います。現代の「モダーンな」フットボールにおいては、この三つで相手に後れを取ると勝てないのです。
上で触れた点にについて象徴的な1点を指摘しておきます。Al Davis と RB Marcus Allen との関係です。
#85: Marcus Allen | The Top 100: NFL’s Greatest Players (2010) |
Marcus Allen – Wikipedia
M.Allen は走ってよし、捕ってよし、ブロックしてよしの、まさにその後の「モダーンな」フットボールの到来を予言する、「未来から来た」RB でした。Raiders は幸運にもこれほど素晴らしい選手を獲得する幸運に恵まれながらその才能を「使い倒す」ことが出来ませんでした。というか、伝え聞くところによると Al Davis は彼のことを「足が速くない」「チームのスポットライトを自分から奪ってる」といった理由で嫌い(!)、チームの中で「干す」ことさえしたといいます。
Bo Jackson highlights
Davis のお気に入りはこの Bo Jackson のような「足の速い」選手「驚異的なアスレチズムを持つ選手」で、この傾向は彼が死ぬまで変わりませんでした。ちなみに上の動画で M.Allen は Jackson のためにFB をやらされてます。。Allen は幸運にもこの時期に導入されたフリーエージェント制度を利用してDavis の呪縛から逃れ、Kansas City Chiefs で Joe Montana と組み最後にひと花咲かせることになります。彼は自分のキャリアの最晩年において、ようやく「自分に最適な使われ方」をする環境に恵まれたのでした。因みにですがこの Chiefs 移籍後の Allen が Raiders をホームに迎えて対戦したゲーム(’92年だったか’93年だったかが思い出せません)は私がこれまで観てきたNFL の試合のうちで最も面白いゲームの一つです。YouTube のNFL チャンネルで観られたと思うので見つけたらまたお知らせしますので是非観てください!
上で述べてきたように、残念ながら、Raiders ファンとしての私のスタートはこの栄光あるチームの「終わりの始まり」と重なってしまいました。そしてこの「黒歴史」が私のAl Davis への想いを複雑なものにしています。というか、私個人の Al Davis への悪感情のほとんどは、彼の M.Allen への処遇に原因があります。
Davis は 2011年に亡くなりますが、そのニュースを聞いたとき「Al Davis も死ぬのか」と思ったのを覚えています。
チームの象徴を失い、Raiders はオーナーに彼の息子 Mark Davis を戴き再スタートを切ります。チームをLas Vegas に移転させることが決まり、良いタイミングで QB D.Carr, DE K.Mack というフランチャイズの攻守の”顔”を引き当てるなど悪くないスタートを切ったように思います。
「Raiders はかつての輝きを取り戻すのか?」
「Just win, Baby 2.0 の行方は?」
それをファンのひいき目も混じえつつ考察してみようと思います。
どうかお付き合いください。
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